藤井聡太データラボ 対局を、記録する。数字で読む。
振り返り 2026.08.05 王座戦

王座戦74期 挑戦者決定戦
― 広瀬章人九段に敗れ、挑戦権に届かず

第74期王座戦・挑戦者決定戦(8/5 広瀬章人九段戦)を振り返ります。

9時に始まった一日

8月5日、東京・将棋会館の特別対局室。第74期王座戦の挑戦者決定戦は、いつもより1時間早い9時に始まりました。

持ち時間は各5時間のチェスクロック。9時開始ということは、夕方には両者とも残り時間が乏しくなるということです。夕食休憩のころには1時間を切っていることも珍しくありません。この日も、まさにそうなりました。

振り歩先は藤井聡太竜王・名人。歩は2枚で、先手は広瀬章人九段に決まりました。

広瀬九段にとって、王座戦の挑戦者決定戦は初めての舞台です。第72期から3期連続でベスト4に進みながら、そのたびに準決勝で足を止めてきました。前々期は羽生善治九段に、前期は伊藤匠叡王(現王座)に。4度目の挑戦で、ようやくここまで来ています。

戦型は相掛かり。広瀬九段は数年前から先手番でこの戦型を軸に据えています。序盤から実戦例の少ない手が飛び出し、定跡をなぞる展開にはなりませんでした。

互いに飛車をぶつけ合い、角と金を繰り出しての力戦です。藤井竜王・名人は午前中から一手一手に時間をかけ、昼休みの時点で消費時間は広瀬九段より10分以上多くなっていました。局後、この序盤について藤井竜王・名人は「やや自信がない展開だった」と振り返っています。

決断の1六角

45手目、広瀬九段が26分を投じて1六角と打ちました。

この角は、後手の飛車の展開を防ぎながら、こちらからも角のにらみを利かせる攻防兼備の一手です。ただし、盤の隅に近いところへ据える角でもあります。利きはほぼ一方向にしか伸びません。うまくいけば大きいけれど、外れれば働かない駒になる。かなりの決断でした。

形勢はここから、じわりと藤井竜王・名人の側へ傾きはじめます。

この角のことは、覚えておいてください。

スパッ ― 13秒の踏み込み

夕方、藤井竜王・名人の踏み込みが始まりました。

と金を作って飛車を捌き、広瀬九段が10分をかけて受けた形に対し、54手目、わずか13秒で7八飛成。中継は「スパッ」と書きました。広瀬九段が指し終えるのを見届けて、迷いなく切り込んでいった、という筆致です。

取り返されると、今度は5秒で7七歩打。読み切った手つきでした。

そこからは一直線でした。桂を跳ね、飛車を自陣に打ち込み、と金と成桂を作って相手陣を削っていく。あっという間に先手陣は破られ、差ははっきりと開きました。

局後、広瀬九段はこの踏み込みについて「見えていなかった」と話しています。藤井竜王・名人のほうは「調子は悪くないという感じはあった。とはいえ、簡単ではなかった」と振り返りました。

18時が近づいても、両者は手を止めませんでした。残り時間が1時間を切っている以上、選択肢の狭い局面で時間を使って休憩に入るのはもったいない。そういう判断だったのでしょう。広瀬九段が9分を使ったところで18時となり、夕食休憩に入りました。

秒に追われた終盤

休憩明け、広瀬九段は攻めの形を作り直します。飛車を打ち込み、角を切って金を放ち、後手玉へ迫っていきました。

それでも形勢は動きません。藤井竜王・名人の優勢は続いていました。

80手目、藤井竜王・名人が角を打ちます。相手の銀打ちを防ぎながら、自分からも詰めろをかける攻防手。いわゆる詰めろ逃れの詰めろで、中継も決め手と受け取ったほどの一着でした。

20時17分、広瀬九段が持ち時間を使い切って秒読みに入ります。

そこから広瀬九段は銀を捨てました。相手の攻め筋を消しながら、2種類の詰めろをかけ直す犠打です。決め手と思われた局面から、まだ続きを見つけていました。

20時23分、藤井竜王・名人も持ち時間を使い切ります。ここからは両者とも秒読みです。

38手後に働いた角

83手目、広瀬九段の4三角成。

この角こそ、45手目に26分をかけて1六へ打った、あの角でした。一方向にしか利かないと言われ、決断と評された一枚が、38手を経て敵陣へ成り込んでいます。長考の意味が、いちばん大事な場面で返ってきました。

そして84手目、藤井竜王・名人は5七金と歩を取りました。

秒に追われた一手でした。あとから調べると、この局面には別の道が残っていました。竜を引く手から、先手玉を詰ませる順があったのです。しかし残り時間はなく、盤上の勝ち筋は指されないまま消えました。

ここで形勢は入れ替わります。以降、先手玉に詰みはありませんでした。

もっとも、勝負はもう一度だけ揺れています。藤井竜王・名人は当時すでに負けを覚悟しており、局後に「結構ガクッとしていた」と明かしました。しかし広瀬九段はその順に踏み込めず、「秒読みで踏み込めなかった」と反省しています。

藤井竜王・名人は銀を打ち、金を打ち、クリンチに持ち込もうと粘りました。千日手模様に持ち込む順もありましたが、広瀬九段はそれを避けて打開します。「千日手にはしたくなかった」。気合で局面を動かした結果、後手玉は受けなしに追い込まれました。

117手目を見て、藤井竜王・名人が頭を下げます。終局は20時53分でした。

四度目の正直

広瀬章人九段が、第74期王座戦の挑戦者に決まりました。

第72期から3期連続でベスト4。羽生善治九段に敗れ、伊藤匠叡王に敗れ、そして今期、ようやく番勝負の舞台へたどり着いています。王座戦での五番勝負登場は、これが初めてです。

一方の藤井竜王・名人は、王座への挑戦権をあと1勝のところで逃しました。王座戦の通算成績は34戦24勝10敗となっています。

勝てば挑戦の一局で、優勢の終盤からの逆転負け。2019年11月、17歳の最年少タイトル挑戦を懸けた王将戦リーグ最終戦と、同じ相手に同じ構図でした。あの日の忘れ物は、また持ち帰れませんでした。

感想戦は21時50分ごろまで続きました。9時に始まり、13時間近くを盤の前で過ごした一日です。両者が持ち時間を使い切り、最後は秒読みの中で決着がつきました。26分をかけた1枚の角が38手後に働き、秒に追われた一手が勝負を分けています。

伊藤匠王座と広瀬章人九段の五番勝負は、9月2日、神奈川県秦野市の元湯陣屋で幕を開けます。

参考 · Reference 自前解析の評価値推移
Eval · 先手視点
先手 + 後手 − 45手 54手 83手 84手
  • 45手目 — 26分の長考 ▲1六角
  • 54手目 — 13秒で切り込んだ △7八飛成
  • 83手目 — 38手後に働いた ▲4三角成
  • 84手目 — 秒読みの中で指された △5七金
解析条件
エンジン
水匠5
探索深さ
14
最大変動
3000cp
形勢逆転
1回
解析手数
116手

評価値は当サイトの自前解析(水匠5(YaneuraOu NNUE 9.41git 64AVX512 TOURNAMENT)/探索深さ14)。あくまで参考値で、実戦の最善を保証するものではありません。棋譜・指し手は掲載していません。